大判例

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仙台高等裁判所 昭和48年(ネ)370号 判決

亡吉田孝太郎訴訟承継人

控訴人

吉田孝夫

外六四名

右六五名訴訟代理人

伊藤俊郎

畑山尚三

被控訴人

松田正男

外三三名

右三四名訴訟代理人

石川克二郎

主文

原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

被控訴人らの登記手続を求める請求を棄却する。

被控訴人らの入会権の確認を求める請求につき訴を却下する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一別紙第一ないし第四目録〈省略〉記載の土地(以下「本件山林」という。右本件山林は原判決の別紙第一、第二目録記載の各土地が国土調査による成果等によつて地番、地目、地積を変更されたものであることは当事者間に争いがない。)は、もと官有地であつたが、明治九年ころ旧世田米村中沢郷住民七七名が各自の資力に応じて異なる金額を拠出して国から払下げを受け、右六七名の共有となつたこと、その後、共有者は二名減少し(昭和一五年八月一五日菅野仁右エ門が持分を他の共有者六六名全員に譲渡し、昭和二九年四月二八日千葉馬吉が共有持分を放棄したことによる。)、現在は登記簿上、控訴人らの各六五分の一(ただし、控訴人菅野俊夫、同菅野ユキエについては六五分の一の二分の一宛)の持分による共有名義となつていること、は当事者間に争いがない。

しかして右払下後の共有持分移転の経過が控訴人らの原審での主張2の(一)(原判決二七枚目表七行目から二九枚目裏一一行目まで)のとおりであること、更にその後控訴人らの相続による共有持分移転の経過が控訴人らの当審での主張の一の2、3のとおりであること、も当事者間に争いがない。

ただし、本件弁論の全趣旨によれば、原審の口頭弁論終結時(昭和四六年一二月九日)においてすでに吉田兼蔵持分は控訴人吉田文雄に、千葉常之進持分は千葉卯太郎に、千葉丈右エ門持分は控訴人千葉福之助に、松田吉右エ門持分は控訴人松田良太郎に、菅野忠五郎持分は控訴人菅野耕治に、菊池丈吉持分は控訴人菊池秀三郎に、高橋長作持分は控訴人高橋トシへに、松田八十八持分は控訴人松田洋正に、菅野徳兵衛持分は、控訴人菅野馬之烝に、菅野喜惣治持分は菅野幸次郎に、菅野ユキエ、菅野俊夫持分(ただし、岩手県気仙郡住田町世田米字城内八五番三、同九〇番三、同字西風九二番二の三筆の土地(以下「三筆の土地」という。)を除く。)は菅野米作に、菅野恵太郎持分(ただし、三筆の土地を除く。)は菅野利三に、松田徳右エ門持分は控訴人松田功三に、水野善三郎持分は控訴人水野練太郎に、菅野孫作持分は控訴人菅野隆之助に、吉田熊次郎持分は控訴人吉田二郎に、千葉源徳持分は控訴人千葉武雄に、控訴人松田勇五郎持分(ただし、三筆の土地を除く。)は松田誠二郎にそれぞれ移転の登記がなされているうえ、その後になつて、菊池敬二持分は控訴人菊池隆子に、高橋重太郎持分は控訴人高橋良三郎に、菊池大二郎持分は控訴人菊池ヨシに、控訴人高橋丑太郎持分は高橋亮吉に、それぞれ移転の登記がなされていることが認められる。

(裁判所は、昭和四九年一月二八日、控訴人菅野馬之烝は菅野徳兵衛から、控訴人トシへは高橋長作から、控訴人松田功三は松田徳右エ門から、控訴人菅野耕治は菅野忠五郎から、控訴人水野練太郎は水野善三郎から、それぞれ、本件土地の持分について生前贈与を受けて、それぞれの持分の移転登記を経ているとして、「控訴人菅野馬之烝をして原審被告菅野徳兵衛のため、控訴人高橋トシへをして原審被告高橋長作のため、控訴人松田功三をして原審被告松田徳右エ門のため、控訴人菅野耕治をして原審被告菅野忠五郎のため、控訴人水野練太郎をして原審被告水野善三郎のため、控訴人として本件訴訟を引き受けるべきことを命ずる。」旨の決定をしているけれども、本件弁論の全趣旨によれば、右控訴人ら主張のとおり控訴人水野練太郎を除くその余の右控訴人らはいずれも右贈与者をそれぞれ相続するとともに、その共同相続人らから右贈与を承認されており、控訴人水野練太郎については、水野善三郎が昭和四四年三月二三日死亡したため、水野清が相続したが、同人もまた昭和四八年に死亡したため、同控訴人が同人を相続し、それぞれの共同相続人らから右贈与を承認されているものであることが認められるから、右控訴人らはいずれも当事者欄に表示のとおり訴訟承継人とみるべきものである。)

二前記払下を受けた者らが組織している団体である中沢郷会に、明治年代に被控訴人ら主張のとおり松田養七郎ら一五名(原判決一二枚目裏冒頭から一三枚目裏一二行目までの一覧表の上欄1ないし14記載の一四名と菅野浪蔵)が加入したこと、更に、大正、昭和にかけて二三名(前記一覧表の上欄15ないし37の者)が加入したこと(以上、いずれも加入の趣旨、すなわち加入して共有権者になつたか否かの点を除く。)は当事者間に争いがない。

そして、当審での被控訴人ら主張の一の3に掲げる被控訴人らの相続の事実も当事者間に争いがない。

三被控訴人らは、本件山林が明治政府成立以前から一定の制限の下に部落民が渡世、すなわち、採草、立木伐採等の使用収益をしてきた入会山であつたとし、六七名の者が払下により地盤の所有権を取得した事実は認めながらも、被控訴人もしくはその被承継人らが加入金を支払つて右六七名の者らと同等の共有権を取得する旨の約定を得たと主張する。

これに対し、控訴人らは、本件山林がもと部落民の入会山であつたことを争い、仮に入会山であつたとしても、それが部落民の全員(六七名)に払下げられ共有となつたことにより入会権は消滅したと主張し、かつ、被控訴人ら新加入者は、本件山林の地盤所有者である控訴人らの恩恵的許容により毛上の入会収穫権を付与されたもので「共有の権利を有せざる」稼方入会、差許入会、入会稼の地位を有するにすぎず、加入料は恩償料であつて共有権取得の対価ではないと主張する。

よつて、まず、以上の争点につき、次の段で判断する。

四原判決の理由の二の第二段以下および三(原判決三二枚目表一二行目から三九枚目表一二行目まで)に掲げる説示は、次のとおり付加訂正するほかは、当裁判所の判断と同じであるから、これを引用する。

1  前記引用する部分の冒頭に「〈証拠〉によれば、本件山林払下の際の拠出額は、六七名のうち五四名がそれぞれ一円二五銭、五名がそれぞれ一円一〇銭、一名が一円、一名が九一銭一厘、三名がそれぞれ三七銭五厘、一名が二五銭、一名が二〇銭であつたことが認められる。」を加える。

2  〈中略〉

同四行目から五行目に「三七名(請求原因第三項記載のとおり)が部落内に分家したが」とあるのを次のとおり改める。

「請求の原因三の一覧表(原判決一二枚目裏冒頭から同一三枚目裏一二行目まで)記載の三七名および菅野浪蔵が、このうち、被控訴人瀬川富雄、訴外高井元治郎、村上五左エ門(被控訴人村上ヨスミの被承継人)、被控訴人村上国男、同吉田菊右エ門、同佐々木徳松、同千葉勇治については、それぞれ、請求の原因三の5(原判決一六枚目表末行目から同一七枚目裏七行目まで)において、菅野浪蔵は同三の6の(一)(原判決一七枚目裏八行目から一八枚目裏一行目まで)において、いずれも被控訴人らの主張のような経緯によつて中沢郷会に加入し、その余の三〇名が分家して、」

同一一行目の「提供したこと」の次に左の説示を加える。「(例えば、吉田菊右エ門は昭和二年二月二二日加入金一五円の内金として五円を、村上徳右エ門は同年一一月一七日昭和二年分三年分郷会加入金として一〇円を、松田義男は昭和二年一一月二九日中沢総会新加入者加入金(但し三か年分)として一五円を、千葉勝助は昭和一四年九月一日中沢郷会入会金として一五円を、それぞれ、中沢郷会会計に支払をするなど、前掲請求の原因三の一覧表に記載のとおり加入金が支払われている。)」

3  〈中略〉

同三三枚目裏末行に「中沢部落は」とあるのを「明治九年ころ本件山林の払下を受けた六七名の者は」と、同三四枚目表一行目に「中沢郷会という法人格を有しない団体を組織し」とあるのを「中沢郷会という寄合をもうけて」と、それぞれ改め、同三行目の「毎年」の次に「旧の」を、同七行目の「留山」の前に「後段掲記の」を、それぞれ加える。

同三六枚目表二行目に「甲第二六号証の受領証」とあるのを「後段掲記の中沢郷会代表者滝本宮道名義の金二二五円の預り証(前掲乙第四二号証)」と、同三行目に「仏壇」とあるのを「仏壇の抽斗」と改める。

同三七枚目表六行目に「高井六治郎」とあるのを「高井元治郎」と改め、同末行の次に左の説示を加える。

「(以上の各事実を前掲各証拠に基づいて細説すれば、次のとおりである。大正一二年に立木を処分して得た代金については、旧加入者六七名のうち六四名に対してはいずれも九〇円、他の三名に対しては四五円、二〇円、一五円の配当がなされた。この三名は他の部落に居住していて本件土地に対する労力の奉仕が少なかつたものである。このときの新加入者に対する配当は、加入年度、労力奉仕の程度等によつて五〇円、四二円、三四円、三二円、三〇円、二八円、二四円、一五円、五円、二円の一〇段階にわかれていた。

昭和一三年に雑木を処分して得た代金については、旧加入者の六四名に対していずれも三五円の配当がなされ(他村に居住している旧加入者の三名についてはいずれも五円の配当)、新加入者のうち一七名に対しては二二円ずつの、一〇名に対しては一一円ずつの、一名に対しては五円の配当がなされた。

昭和一四年に立木を処分して得た代金については、旧加入者六六名のうち六四名に対してはいずれも一四三円ずつの配当がなされたが、新加入者に対する配当は七七円から一〇円までの数段階にわかれていた。

昭和二二年に立木を処分して得た代金については、旧加入者にはいずれも六〇〇円の配当がなされ(ただし、千葉馬吉に対しては二四〇円)、新加入者に対する配当は、三三〇円、二七〇円、二一〇円、一一〇円、九〇円、三〇円の六段階にわかれていた。

昭和二三年に立木を処分して得た代金については、旧加入者にはいずれも一〇〇〇円の配当がなされ(ただし、千葉彦作に対しては四〇〇円)、新加入者に対する配当は、五五〇円、四五〇円、三五〇円、一八〇円、一五〇円、一〇〇円、五〇円の七段階にわかれていた。)」

同三八枚目表末行の後に次の説示を加える。

「これを細説すれば、次のとおりである。すなわち、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  菊池喜太夫の場合

旧加入者の菊池清五郎は大正初年ころ他部落に移住し、中沢部落に居住しなくなつたため、中沢部落に居住していた叔父の菊池喜太夫が清五郎に代つて本件山林維持培養、植林のための夫役等をしてきたものであるが、昭和一五年九月一日になつて金策して清五郎から代金八〇〇円でその共有持分を買受けた。

(二)  控訴人松田勝太郎の場合

同控訴人は旧加入者の松田文エ門の弟文人の娘よしみの婿養子であるが、文右エ門は明治年代に北海道に移住したため、同人に代つて文人が夫役等に出ていたところ、文人も昭和五年ころ北海道に渡つたので、その後は、同控訴人が代つて夫役等をつとめ、金策をして昭和一五年九月一日文右エ門から代金八〇〇円でその共有持分を買受けた。

(三)  控訴人菅野政雄の場合

旧加入者の一員である菅野丈作の権利を長男丈吉が相続し、丈吉の長女トクヘとその夫庄三郎がこれを行使していた。

トクヘに一四年遅れて出生した丈吉の長男浪蔵は、前段認定のとおり加入金を支払つて中沢郷会に加入したが、丈吉の死亡後その家督相続人として旧加入者の権利を取得した。そのためトクヘ夫婦は旧加入者の権利を失い、その長男米治の子である控訴人菅野政雄は、中沢部落を離れて他に居住していた旧加入者の千葉熊治から昭和一六年九月一日、代金六〇〇円でその共有持分を買受けて、旧加入者の権利を取得した。」

同三八枚目裏末行から同三九枚目表一行目に「(菅野浪蔵は旧権利者の権利を相続したので原告になつていない。)」とあるのを「(前記菅野浪蔵を含む。)」と改め、同三九枚目表五行目から六行目に「右加入金合計二二五円を登記手続履行まで預かつておく旨の中沢郷会代表者滝本宮道名義の預り証を発行したが、」とあるのを「金二二五円也右金中沢郷共有地加入金契約書締結致正式に手続履行致候迄預り置き候処確実也」との中沢郷代表者滝本宮道作成名義の預り証(乙第四二号証)の交付を受けたが、そのままになつてしまつていたところ、たまたま」と、同七行目に「仏壇の中」とあるのを「仏壇の抽斗」とそれぞれ改める。

五本件山林が明治九年に中沢郷民六七名の全員(戸主または世帯主と推認される)に払下げられ、右六七名の共有とされたうえ右六七名をもつて構成する中沢郷会なる団体(寄合)において管理収益してきた事実関係に徴すると、本件山林については旧藩時代から中沢部落民全員による入会慣行が存したものと推認される。

明治七年太政官布告第一二〇号地所名称区別が制定されることによつて、それまでの公有地の名称は廃止され、土地は、すべて官有地と民有地のいずれかに編入されることになり、ついで明治八年六月地租改正事務局乙第三号達によつて、官民有の区別は証拠とすべき書類のある場合はそれによるが、村持山林、入会林野については、積年の慣行と比隣郡村の保証の二要件があれば、書類がなくても民有とすべきことが定められ、比較的大幅な民有化が意図され、この方針は、同年七月地租改正事務局議定地所処分仮規則に引き継がれたが、同年一二月地租改正事務局乙第一一号達によつてこの方針は変更され、入会林野等については、従来の成跡上所有すべき道理のあるものを民有と定めるのであつて、薪秣を刈伐し、秣永山永下草銭冥加永等を納入していたというだけでは民有とすべきではないと解釈すべき旨を明らかにし、さらにこれに基づき同九年一月地租改正事務局議定山林原野等官民所有区分処分派出官員心得書をもつて具体的な区分の基準を示し、その三条として従前秣永山永下草銭冥加永等を納めていても、かつて培養の労費を負担することなく、全く自然生の草木を採取して来た者は地盤を所有する者とはいえないことを理由として官有地と定めるべき旨が明らかにされている。これらの規定によると、村民に入会慣行のある場合においても、所有すべき道理のない場合には、その地盤は官有地に編入されるべきものとなつているのであるが、その場合に、村民の有した入会権が当然に消滅するか否かに関する規定は置かれていなかつた。右心得書三条但書の趣旨も、右入会権の当然消滅を規定したものとみることは困難である。そもそも官民有区分処分は、従来地租が土地の年間穫量を標準とした租税であつたのを地価を標準とする租税に改め、民有地である耕宅地や山林原野に従前に引き続きまたは新たに課税するため、その課税の基礎となる地盤の所有権の帰属を明確にし、その租税負担者を確定する必要上、地租改正事業の基本政策として行なわれたもので、民有地に編入された土地上に従前入会慣行があつた場合には、その入会権は、所有権の確定とは関係なく従前どおり存続することを当然の前提としていたのであるから、官有地に編入された土地についても、入会権の消滅が明文をもつて規定されていないかぎり、その編入によつて、入会権が当然に消滅したものと解することはできないというべきである(最高裁判所昭和四八年三月一三日第三小法廷判決、民集二七巻二号二七一頁参照)。

然りとすれば、前記払下により、当時の中沢郷住民の全員である六七名は入会地の地盤を共有するに至り、本件山林につき共有の性質を有する入会権を有するに至つたものというべきである。しかして入会権の内容は各地方の慣習に従うものであるが、本件弁論の全趣旨によれば、本件払下前の明治五年には既に中沢郷会の組織が存在していたことが認められ、払下後は現在まで右郷会において本件山林を直轄支配してきているのであるから、右は払下の前後を通じ、いわゆる団体直轄の利用形態による入会であると認めるのが相当であつて、払下により入会権が解体し、通常の共有権者による共有物の共同利用関係に転化したと認めることはできない。このことは、旧加入者六七名の共有持分権は常にその相続人の一人に限つて相続承継され(控訴人菅野俊夫、同菅野ユキエの場合のみが唯一の例外であるが、〈証拠〉によれば、右は両名の被相続人菅野寅太郎が昭和二五年七月二七日死亡したことによる共同相続に基づくものであることが明らかである)、これらのものが中沢部落の住民でなくなつたときは、権利を放棄するか、他の共有権者もしくは中沢部落の住民の一人に権利を譲渡している事実や、払下後まもなくの明治二一年から明治四五年までの間に中沢部落内に分家した一四名の者が郷会への加入を認められ、本件山林の管理収益に参画してきたこと、その後も引続き同様に二三名の者が加入を認められたことからも裏付けられる。したがつて、中沢郷会への加入を認められた、いわゆる新加入、新加盟の者は本件山林につき共有の性質を有しない入会権を有するものといわなければならない(ただし、その権利の内容は慣習によつて定まる。)。

被控訴人らは、加入金を支払い又は物品を提供して郷会に加入することにより本件山林の共有者の一員となつたと主張する。なるほど前記認定のとおり、新加入者の加入金は明治年代において二円であり、これは払下時の旧加入者の拠出額(多くの者は一円二五銭、他はそれ以下)と較べて相当の額と考えられる。しかしながら、〈証拠〉(いずれも土地登記簿謄本)によれば、本件山林については明治三八年三月三〇日前記六七名のために共有による所有権保存登記がなされたが、右登記のなされる以前の明治二一年から明治三七年までの間に郷会に加入した千葉六三郎ほか九名の者は右の登記を受けていないことが認められる。この事実からすれば、右所有権保存登記のなされた明治三八年当時においては、新加入者が本件山林の地盤の共有権を取得したものとは理解されていなかつたといわなければならない。

前認定のとおり大正の初期において、旧加入者の松田与左エ門が、明治年代に加入した新加入者一五人(菅野浪蔵を含む)に対し、立木売却代金の配当金一五円を加入金として納めれば旧権利者と同じ内容にし、共有の登記をしてやる旨の提案をしたので、右一五名は配当金一五円を加入金として郷会に提供し、中沢郷会代表者滝本宮道名義の預り証が発行された事実があるが、そのような登記は現在まで行われていないのであり、郷会の総会においてそのような議決がなされたことを認めるに足りる証拠はないから、右事実によつて当時の旧加入者六七名の全員が本件山林地盤についての各自の持分六七分の一から五四九四分の一五宛を割いて右一五名にそれぞれ移転すべき旨を約したものと認めるには十分でない。右預り証(乙第四二号証)の文言も、必ずしも本件山林の地盤の共有持分権までを新加入者に取得せしめる旨を約したものとは認め難いし、右は、本件立木の売却代金の配当金につき、旧加入者と新加入者について差があつたのを将来はなくするか、或いは差を少なくすることを合意したものと解するのが合理的である。昭和一五年、一六年に旧加入者から地盤の共有持分権を買受けた者は代金として六〇〇円ないし八〇〇円を支払つているのであるから、一五円の加入金はこれに比してあまりに低額であり、貨幣価値の変動を考慮しても、これをもつて地盤の共有持分権取得の対価とみることは相当でない。

更に、大正、昭和にかけて二三名のものが昭和一四年までは加入金一五円、昭和二〇年には加入金三〇円、昭和二九年以降は加入金未定として郷会に加入を認められた事実についても、加入によつて本件山林の地盤の共有権を取得したものと認めるべき証拠はない。

被控訴人らは、請求の原因四の4(原判決一五枚目裏一二行目から一六行目表一二行目まで)に掲げる野沢地区における共有山林の取扱例が本件の参考となるべきものと主張し、〈証拠〉によれば、右主張にかかる事実が認められるが、当審における控訴人菊池滝三郎本人尋問の結果によれば、右山林については、昭和三六年に当事者双方においていわゆる新加入者には地盤の共有持分権がないことを前提として話合いがすすめられ、新加入者が旧加入者から地盤の共有持分権の一部を時価で買い取ることとし、各自金六万五〇〇〇円を組合に支払い、各旧加入者から各新加入者に対し贈与を原因とする共有持分権の一部移転登記に及んだものであることが認められるから、これをもつて本件山林についても被控訴人らが地盤の共有持分権を取得したとの事実を裏付けることはできない。

以上のとおりであるから被控訴人らが本件山林の地盤の共有権を取得したことを前提として控訴人らに対し共有持分権の移転登記手続を求める請求は失当として棄却を免れない。

六更に、被控訴人らは本件山林につき共有の性質を有する入会権を有することの確認を求め、本件山林は中沢郷会なる団体に帰属し共有の性質を有する入会山であり、被控訴人らは共有持分を有しないとしても共有の性質を有する入会権を有すると主張する。しかしながら、「共有の性質を有する入会権」とは、入会地の地盤も入会権者の所有に属する場合をいい、「共有の性質を有せざる入会権」とは入会地の地盤が入会権者の所有に属しない場合をいうと解すべきものであるから、被控訴人らが本件山林の地盤につき共有持分を有しないことを前提として共有の性質を有する入会権を有するとすることは主張自体失当である。

しかも入会権確認の訴は、入会権が共有の性質を有するかどうかを問わず、入会権者全員で提起することを要する固有必要的共同訴訟であるというべきところ(最高裁判所昭和四一年一一月二五日第二小法廷判決、民集二〇巻九号一九二一頁参照)、被控訴人らの主張によれば、被控訴人らのほか、訴外菅野三吉、同菅野清十郎、同高井元治郎の三名も新加入による入会権者であるというのであるから、右請求にかかる訴は当事者適格を欠く不適法なものとして却下すべきである。

七以上の次第で、これと結論を異にし、被控訴人らの登記手続請求を認容した原判決は不当である。

よつて、民事訴訟法三八六条により原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消し、被控訴人らの登記手続請求をいずれも棄却し、被控訴人らが当審で並列的請求に併合の態様を改めた入会権の確認請求をいずれも却下することとし、民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(田中恒朗 武田平次郎 小林啓二)

第一〜第四目録〈省略〉

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